まいの闘病日記(第11回)
| ■第11回■ 立ちはだかる壁 |
行動療法が効をなし、普通の生活が送れるようになってきた22歳の夏、私は再度、復職に挑戦してみようという決意を固めました。吐き気、のどつかえ、不安感などの症状は完全に治まってはいなかったものの、「それではいつまでたっても仕事なんてできない」そう思ったのです。 実家を離れ、再び、一人暮らしの生活へ。しかし、復職はそう簡単にはいきませんでした。私は、吐き気、のどつかえの症状が、朝、顕著にあらわれます。そのため朝はできるだけ早起きし、朝食を取ってから10分以上は横になって胃を休める。そして、バタバタと急いで支度をしたり、遅刻しそうになって走ったりすると、吐き気をもよおすというイメージがあったので(実際にそうなることもありました。おそらく嘔吐恐怖による心理的なものだと思います。)そうならないよう、できるだけ早起きをしていました。朝は、必ず胃薬を服用。途中で具合が悪くなった時のための薬も常備。と、出勤前から変な気合いが入っていました。今日一日が、吐き気に見舞われないことを祈りながらの毎日でした。 仕事が始まると、今度は「いい子」の癖が出てしまい、自分の一挙一動に対して、気を病んでいました。注射に失敗すれば、「きっとヘタクソと思われた。」と気にかけ、休憩時間は、話題を考えて考えて話し、疲れきっていました。この時の私は、とにかく今のことに精一杯で気付いていませんでしたが、状態は療養前より悪くなっていたように思います。こうして、無駄なことに神経をすり減らし、疲れきって、辞めては新たに就職を繰り返していました。とても多くの人に迷惑をかけていました。 こんなことの繰り返しが、約1年ほど続きました。「一体、いつまでたったら、まともに仕事ができるようになるんだろう。もしかしたら、ずっとこのまま?」 一時期は、「お見合いでもして結婚しよう。そうしたら、楽になれる」そんなふうに逃げることを考えたりもしました。しかし、私は自立できない今のまま楽な道を選んでも、どのみち不安になるのではないかと、漠然と思いました。 そして、「やっぱり自立したい!」と思ったのです。この頃から、少しだけ光が見えはじめたのです。23歳の転機に向かっていました。 (次号に続く→) |
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